よるのおわり

日々を愛でる

砥石

ひとりになりたい気持ちにふっと襲われて,めったに食べないカップ麺を,博物館の外の隅っこのほうですすってみたのが昼のことだった.賞味期限が1年前に切れていたし,お湯がなかなか沸かなくて,なんだかあんまり慰めにはならなかった.敷地外の高層マンションにあたる秋の陽が真っ白だった.

デスクに戻ってもそわそわした気持ちはおさまらず,論文を数パラグラフ読んでみて,今日はもう家に戻って作業をすることに決めたのだった.家では集中できるときとできないときが極端に分かれていて,今回は前者である確信もあった.だから決断も早かった.

帰宅途中,自転車の調子がおかしいことに気づいたのは日暮里の界隈だった.一度外れかかったペダルのねじがクランクに対して斜めに固定されてしまっていた.なんとかペダルを外したはいいものの,再び取りつけようとしても,ねじ山がいくつかつぶれていて,素手での修理はどうも無理のようだった.

結局,最初はくさくさした気持ちで,途中からはどうでもよくなって,自転車を押しながら,ぽかぽかと暖かい街を歩いて帰ってきた.途中の交番で借りてみたレンチはサイズが合わなかった.ペダルがひとつ外れただけで自転車に乗れなくなるなんて,これまで考えてもみなかった.

その,徒歩での帰宅の途中に手に入れたのが,砥石だった.数年来,導入を先延ばしにしてきた砥石を,やっと手に入れて,帰宅早々に包丁を研ぎ直した.その結果,「ステンレスの薄い板」は「刃」に変わった.硬いサツマイモも柔らかいネギも,包丁がまな板に吸いつくようによく切れる.これは,今年いちばんの衝撃だったかもしれない.

そうそう,そしてペダルのねじは,帰宅後,レンチでふたたび山を切ったところ,無理なくクランクに固定された.ほっと一安心.そうして,これらのちょっとした非日常の代償として,家での作業における集中力はどこかへ揮発してしまい,そんなわけで私は今こんな文章を書いている.