よるのおわり

日々を愛でる

花粉症はじまり

夜中に喉が乾燥し、眠りが浅くなって朝早くに目覚めてしまう。そのため日中に頭が痛くなることがあって。ここ数日続くこれは、Lが風邪をひき、それがうつったのかと思っていたけれど、どうやら花粉症の症状であるらしい。毎年こういう数日があって、しばらくすると身体が慣れてくるように記憶している。もうちょっとの我慢。そして、もしかしてLのほうも、風邪ではなくて花粉症なのかもしれないと何度か思う。

何かを失う薬

市販薬の花粉症の薬がどうも体にあわず、服用をやめたところ快調になった。数年来ずっとこの薬を飲んでいたのだけれど、今年はなぜか精神薬っぽい副作用がはっきり現れて、気分がダウナーになって何をするのもほんのりとだるくなった。薬の服用をやめると今度は目がかゆくなり、くしゃみがでるようになって、花粉の存在をはっきり実感する。何かを得ることは何かを失うことなのだなということを思い、得るばかりと思っているものにも実はその反面に何か失っているものがあるのかもしれないなどとも思う。

そんなこんなをしていると、Lが風邪気味になる。病院につれていくついでに、花粉症の薬も処方してもらうことに。ちょっと熱がでていたので別室に通され、大きなソファーがふたつも置いてある広々とした室内で遊びながら待つ。これなら子連れでもストレスなく待っていられる。窓の外にはきれいに整えられた庭が広がり、ちょうど芽吹きつつある小振りなコブシが雨に濡れてつやつやとしているのが見えた。40分くらいで診察の順番となり、それぞれ薬を処方されて帰ってきた。

この薬を飲んだら代わりに私は何を失うのだろう、というのは考えすぎか。

砂肝の石

電車に乗って海の方におでかけ。途中の駅で持ち帰りのお寿司を購入。降りて線路沿いを歩くけれど、風が強くて本当に寒い。良さそうな公園があり、池のほとりに空いたひなたのベンチで弁当を広げる。温かいお湯を持ってきたのでインスタントのワンタンスープも作る。魔法瓶を持ってきて良かった。その後、ひとつ先の駅まで歩き、線路の終点を見ながら帰ってきた。家に帰ってきたらお風呂に入り、布団でごろごろしていたらみんな夕方まで眠ってしまった。寒さは体に堪える。夜は温かいお鍋。

こんな冷たい風の吹く日に電車ででかけたことが昔あったなと思い出した。房総半島の端っこにでかけて、鶏を〆るのを見て、砂肝に入っていた石を持ち帰り、翌日風邪を引いたのだった。まだ会社で働いていた頃だから、ものすごく昔のことだ。当時なにか文章を書いていたかなと思ったけれど、みつからなかった (写真はあった)。たしかPathという今はなきものを使っており、サービス終了の際にデータのエクスポートもしなかったのだった。

翌日は交代でお仕事。午前中はいつものコースを買い物とお散歩に行く。午後は外で。隣のテーブルの裕福そうなお年寄りたちがお酒を飲みながら大声で唾をとばしあっていたり、バイトの若い女性が同級生にみつかって恥ずかしそうに接客しているのを見たりしていた。(お仕事と北の国の調べ物もしっかりした)

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携帯電話を持つのをやめたときの話

私が大学生だった頃、スマートフォンなどはまだ一般に普及していなくて (修士の1年にとある外資系企業の就活インターンに行って、その先で社員さんが第一世代のiPhoneを使っていたのを見て、こんな携帯電話があるんだ、と驚いたのがスマートフォンとの初めての出会いだった)、人びとは小さなカラーディスプレイに物理キーのついた今でいうガラケーを使っていた。今では問題になっている通信料と本体料金の抱き合わせ販売が普通にされていて、タイミングよくプランを解約して新規で携帯を契約すると、電話番号が持ち越せない代わりに、最新の機種が本体価格1円で手に入るような時代だった。本体に飽きては「機種変」をして、アドレス帳の全員にキャリアメールからちまちまメールを送って電話番号が変わったことを知らせて、別な携帯に乗り換えていた。大学1年の頃だったか、autalbyを使っていて、不便なところもあったけれどデザインとスリムさが本当に気に入って、好んで使っていたのだった。フリーのウェブメールを携帯電話で使うこともなく、通話は電話でするもので、アプリなんてものも当然ない時代だった。

そんな頃に、携帯電話に自分が縛られるのが嫌になり、解約して、持つのを一切やめてしまった時期があった。携帯を持っていてはどこにいても連絡が取れてしまい、人間社会のしがらみから逃れることができない。自由になりたかったのだと記憶している。
携帯を持たない時期はたしか半年以上続き、不便なこともあったけれど、それはそれで楽しく暮らしていた。なければないでなんとかなるものだ。効率化や利便性ばかりを重視する現代社会に反旗をひるがえしているような気分もして、「携帯持ってないんです」と言うたびにむずむずするような喜びがあった。

その後、部活のことか何かでやはり携帯を持たねばならないことになり、しぶしぶもういちど契約をして、携帯電話を持つ生活を再開した。それ以来、完全に解約してしまって携帯を持たない生活を送ったことはないし、今そういう生活をすることは難しいだろうと思う。けれど、携帯電話に対して抱いていたその頃の気持ちは、今でもどことなく、心の底にまだ残っている。

 


Talby

春のようなお寺の日

都心に出ているR・Lと落ち合う。2月なのに気温が20℃以上にあがり、まるで春のよう。
ラッシュが終わったけれどまだ空いているわけではない電車に乗り、運良く座って仕事を進めながら、長い時間かけて移動する。目的の駅に降り立ち、合流したあと、家から持ってきたケトルを電車の網棚に忘れてきたことに気づく。これから訪れる知人にあげる予定だったのに。なんてことだ。ふだんはそういうことはしないので、やはり最近コンディションが万全ではなくぼんやりしている。遺失物センターに電話するも、まだ届いてはいないとのこと。まあなくなっても良いものだったしと気を取り直し、街を歩き始める。
人気の少ないお寺に行き、カエデの種子を飛ばしたりして遊び、ビリヤニのお昼。確かにおいしいけれど、たまにRが作ってくれるものをずっと食べていて、それがいちばんおいしく思えてきているのもまた事実。別な神社に行き、盆栽に水が与えられているのを眺めてすこし休憩した後、商店街を通り抜けて知人の家へ。
お茶を飲み、しばし休む。遺失物センターに連絡が取れて、ケトルが届いているのを確認できる。近所のお寺にまたでかけ、井戸のポンプを押したり、手水鉢の水をぱちゃぱちゃしたりして、知人宅へ引き返す。荷物を取って1駅分歩き、ジェラートを食べる。そうして、ラッシュになる前の電車に乗り、また長い時間を揺られて返ってきた。都内ではもう梅が咲いていた。
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