よるのおわり

日々を愛でる

2019年に読んでおもしろかった本

今年読んだ (仕事のものでない) 本は30冊くらい。海外文学を中心に読んで、きわめてすばらしい本にも出会った。生活のリズムを取り戻すために本を読んでいたようなところがあって、短い時間に読んで気分を切り替えられる短編が多かったかもしれない。
特におもしろかったものは以下のとおり。他には、『82年生まれ、キム・ジヨン』、『聖なる酔っぱらいの伝説』、『孤独な鳥はやさしくうたう』、『ボート』、『リンドグレーンの戦争日記』なんかも良かった。

アイザック・ディーネセン 『アフリカの日々』
高貴な文体と見事な起承転結で彩られた、今はもう存在しない20世紀はじめのアフリカの風景と人。悪く言えば植民地主義的、良く言えば大時代の空気を未だ残した「白人」と「黒人」の関係性が、過ぎ去った時代の匂いを色濃く伝えているような気がする。この時代、白人は主で黒人は従となるが、彼らは同時に、よそ者とその地の者でもある。それらのあいだを揺れ動くシーソーのような心理が、そこかしこのエピソードや書きぶりから伝わってくる。現代の感覚で裁くなら確かに差別主義的な部分もあるけれど、そうした箇所は割合でいうと圧倒的に少なく、カレンとケニアの人々は、この時代のやり方で信頼関係を築き、この時代のものの見方に影響されながら互いを同じ人間として大切に扱っていると思う。風景描写の的確さ (アフリカの高地の冷たく澄んだ朝や、恐ろしげな夜の深い闇、昼間の乾いた空気などが目の前にあるよう)、比喩の見事さ、物語としての完成度など、カレンの本領が遺憾なく発揮されていて、本当にすてきな物語を読んだ余韻が残る。

白人なら、耳ざわりの良いことを言いたいとき、「あなたのことを忘れられません」と書くだろう。アフリカ人はこう言うのだ。「私たちのことを忘れられるようなあなたではないと思っております。」


ガブリエル・ガルシア=マルケス (鼓直 訳) 『族長の秋』
一貫したストーリーや時系列的な明確さを欠いたまま、極彩色の笑える悪夢 (ブラックユーモア) が眼の前を次々に流れていく。大統領が晩年に音を消しながら夜ごとに見ていた、大統領専用に作られたTV番組というのも、きっとこんなものだったのだろうか。マザコンで、しわのないなめらかな手を持ち、睾丸のヘルニアをわずらい、傷を負った片足は平たく象のように大きく、猜疑心と性欲が強いワンマンの大統領。彼が独裁をふるう国での100年以上の政権 (大統領は異常に長生きなのである)、陰惨な拷問や虐殺、市場のように猥雑でごちゃごちゃとしたイメージの洪水、そうしたものがどどっと押し寄せてくる。

あの世でゆっくり、おふくろよ、休んでくれ、と彼が話しかけると、お前もりっぱに死んでおくれ、と地下の納骨堂の母親が答えた。


アリステア・マクラウド (中野恵津子 訳) 『冬の犬』
これまでの人生で出会ったなかでもっともすばらしい短編集のひとつ。カナダの北東の端、ケープ・ブレトン島を舞台にした、スコットランド移民たちの世代を超えた伝承のような物語。人びとの口を通じて伝えられていく真実とも噂ともつかないお話、海と氷、使役動物たちと漁、貧しさと死、そして孤独。そうしたものたちをまるで目の前でなでまわしているような手触りが、文章から伝わってくる。地の果て・海の果てのような、極北の島の寂寞感。時代や経済の大きな力の前では圧倒的に無力な個々の人間。忘れ去られていく古い伝統や過去の人びとの存在。それでも最後には、どこかほっとするような暖かい気持ちが残るのは、どうしてなのだろう。

そこだと雪が深く積もることはなく、清水の湧き出る泉や池から染み出てくる水が氷の釉となって表面をつるつるに固めるので、そりの滑走部は何にもさえぎられることなく、まるで歌うようになめらかに滑った。最初は軽い足取りで走りだし、だんだんスピードを増してきて、ついには犬もそりもとぎれとぎれにしか地表に触れていないような気がするまで速く走った。


工藤久代ワルシャワ貧乏物語』
1967年から1974年の7年間をポーランドワルシャワで、夫が日本語学校の教師として、暮らした妻の記録。日本が高度経済成長にあった時代、商社や新聞社や大使館の駐在員はどんどんあがる日本の賃金相場で給料をもらっていたため非常にぜいたくな暮らしができたが、工藤さん一家は現地のお金で給料をもらっており、かなりの貧しい暮らしをしていた。そのようななかでも食材を自作し、ポーランドの現地の人びとに溶け込み、日本的な食生活も維持するところでは維持し、経済的には苦しいながらも心豊かな暮らしをする姿。ワルシャワの優しい人たちに助けられる。すごくいいなと思う。特に、隣家の「おフミさん」の助力や生活から垣間見えるポーランドの人びとの生活事情、市場の描写、家庭菜園 (果樹園?)、いろいろな食材の入手と自作 (豆腐や納豆や数の子や甘エビ) に関する執念と熱意などが非常におもしろい。


ウィリアム・トレヴァー (中野恵津子 訳) 『密会』
どこにでもいそうな、なんでもない人々の短かい物語が (登場人物たちにとっては決して短かくはない)、本当に研ぎ澄まされた形で提示されている。どの物語も、苦労や貧しさや悲しみの色を漂わせているけれど、悲劇の調子が過剰になることはない。どこか謎めいた雰囲気があり、静かな冬の夜にベッドのなかでひとつずつ読んでいきたいような物語。頑固で孤独な人びとが、わかりあおうとしてわかりあえず、もはやそのことに諦めを感じていたりする。そうした切なさというか寂寞感というか、この灰色でのっぺりとした空気を書き出すのが本当にうまいと感じる。好きなのは、「死者とともに」、「伝統」、「夜の外出」。

彼らはある意味で、それが秘密であるという側面を、もうひとつの秘密の側面と同じように楽しんだ---まったく同じに楽しんだとはいえないが、ほぼ同じように。


ドン・デリーロ (柴田元幸、上岡伸雄、都甲幸治、高吉一郎 訳) 『天使エスメラルダ 9つの物語』
静かで抑えた感じながら、日常の亀裂というか、断層というか、そういうものを切り取ってくるのが上手だなあという気がした。わかりあえない人と人、そしてそこに生じるドライなユーモア。そして生活のたしかな重み。そういうものが込められている。最初は置かれた状況がまったくわからず戸惑いながら、だんだん、登場人物の人生に自分の輪郭が重なっていく感じも好き。好きなのは、「天地創造」と「天使エスメラルダ」。

「日曜日にはいまだに気が滅入る」と彼は言う。
「ここでも日曜日があるのかな?」
「ない。でもあっちにはある。それがいまだに感じられるんだよ。日曜が来るとかならずわかる」
「どうして気が滅入るのかな?」
「日曜のまだるっこしさ。陽の光もどこか違う。温まった芝生の香り。協会の礼拝。よそ行きを着て訪ねてくる親戚。一日が永遠に続くみたいな感じ」


ビルギット・ヴァイエ (山口侑紀 訳) 『マッドジャーマンズ ドイツ移民物語』
モザンビークから東ドイツにやってきた移民たちの物語を、3人のケースを抽出して描いたグラフィックノベル。国策としての大規模な移民政策に翻弄されながら、ある者は現実を諦めて帰国し、ある者は強く生きるために大変な苦労をしながらドイツに残る。3人それぞれの選択が、悲しく、興味深い。