よるのおわり

日々を愛でる

2020年に読んでおもしろかった本

今年読んだのは31冊。去年と同じくらい。本当はもっと読みたいのだけれど、まあ仕方ないか。関東に戻ってきて、冬が寒く、家にひとりのときにお風呂にお湯をはって浸かりながら本を読むのが楽しかった。いくつもすばらしい作品を読んだ昨年に比べると、今年はちょっと地味だったかもしれない。

特におもしろかったものは以下のとおり。

スチュアート・ダイベック『僕はマゼランと旅した』
これに関しては以下に感想を書いた。
nukaduki.hatenablog.com



ボフミル・フラバル『わたしは英国王に給仕した』
オタ・パヴェル『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく』
これらに関しては以下に感想を書いた。
nukaduki.hatenablog.com



G・ガルシア=マルケス百年の孤独
中南米のジャングルの奥深くに開拓された架空の街マコンドを舞台にした、ブエンディア一族の幻想的な話。夢の中のような不思議なことが次々に起こり、『族長の秋』ほどブラックではないにせよ、奔放な生と性と死の記憶が入り乱れる。物語が進むにつれて世代が進み、どんどん登場人物が増えていくだけでなく、世代まで超えた姦通がそこかしこに起こり、また登場人物の名前が似通っているため、メモを取らないと、物語の道理を理解するのが難しくなる。それでも、それぞれにユニークで孤独を抱えた登場人物たちの巻き起こすありとあらゆる物事がつぎはぎのように物語られていき、全体としてはにぎやかで愉快な余韻が残される。とても良かった。

「何のことか、さっぱりだわ」
ピラル・テルネラも狼狽した様子で言った。
「わたしだって。でも、トランプにそう出てるのよ」


ロン・リット・ウーン『きのこのなぐさめ』
なんだか (良い意味で) とても不思議な本。筆者はノルウェー人の夫と恋に落ち、マレーシアからノルウェーに移住し、人類学者として30年間近く暮らしてきた。ところが、それまで健康そのものだった夫が、ある日あるときばったり倒れてそれきり息を引き取り、いっさい何の心構えもなしに喪失の哀しみに浸かることになる。そのような喪失感のなかで、きのことそれを取り巻くコミュニティに出会い、きのこの深くて広い世界にのめり込んでいくことによって、徐々に生きる気力が回復していく。きのこを主軸としながらも、異なるさまざまな世界についての描写が、モザイク状に語られていく。いろいろなきのこに関する生態と習俗の解説書、未亡人の哀しみと回復の手記、ノルウェーのきのこコミュニティの参与観察記、ノルウェーとマレーシアの文化比較、そうしたさまざまな側面を併せ持っている。

周りの全ての存在を忘れてしまうぐらいの、至福の時だった。残されたのは私とトガリアミガサタケだけ。このトガリアミガサタケは、一週間まるまるかけて大きく生長した他のふたつより、ずっと小さかったけれど、すらっとしていて、尖っていて、いかにもトガリアミガサタケという風貌だった。他の人たちだったら、神様や他の高尚なスピリットに感謝していただろうけれど、私は空の上のエイオルフに温かな挨拶を送り、彼からの愛の印に感謝した。


星野道夫旅をする木
星野道夫さんの書く文章には魔力がある。アラスカの自然に備わる魔力と、それを見事に写しとる魔力。この魔力に魅せられてアラスカ関連の研究者になった人をすくなくともふたり知っている。それくらい強い力なのだ。
このエッセイ集を読んでいると、若き日の人生が星野道夫さんをアラスカに運び、そこで雄大で超然とした自然に圧倒され、アラスカに暮らす人びとと仲良くなり、この書籍の中にはまだ見えてない死に向かって物語が始まっていくのを、まるで自分も追体験しているかのような気分になる。言葉が素朴で本質をつくからこそ、アラスカの自然をこんなに豊かにイメージさせることができるのだと思う。文字で読んでこれほど圧倒されるのだから、実物はどのくらいすごいのだろうか、ということを思う。ちょっとずつ大事に読み進めていった。

ぼくはザックをおろし、テルモスの熱いコーヒーをすすりながら、月光に浮かびあがった夜の氷河の真只中にいました。時おりどこかで崩壊する雪崩の他は、動くものも、音もありません。夜空は降るような星で、まるでまばたきをするような間隔で流れ星が落ちてゆきます。


トーヴェ・ヤンソン『太陽の街』
フロリダの裕福な老人ホームを舞台に、人生の老境をも終えつつあるお年寄りたちが人間関係や自分自身の扱いに悩み、他者との適切な (人間らしい、とは言えないまでも) 関わりを築いていく。そのような関係性のなかで老人 (あえて「老人」と書く) たちが「変わる」瞬間がどれも鮮烈でおもしろい。心の殻を外に開く、自分の心のなかにある憎しみを正視する、過去の遺産に噛みつかれる、嘲笑と厳しさのなかにやさしさをのぞかせる、などなど。
醜いやり取りを繰り返す老人のなかにあって、唯一若い (20代くらい) バイク乗りのジョーと微笑みを絶やさないリンダは、天真爛漫な感性で我が道を進む。どこまでも気持ちの良いジョーと、特にリンダが、物語の良いアクセントになっている。ふたりは裸でじゃれあい、浮ついた物質的な欲求から無縁で精神的な価値を大事に若い日々を過ごしている。老人たちのやりとりの合間に彼らが出てくるとなんだか安心するのだった。

「わかってるはずだ。あんたたちは尊敬やら称号やら高給やらを、つまり品物をかき集めるのさ。部屋いっぱいに敷きつめられたカーペットだの名声だのを手に入れる。そして時間をむだにしている、それも気が遠くなるほど沢山の時間を」