よるのおわり

日々を愛でる

遠いラジオ

ラジオに出ることになった。海外の暮らしやニュースを紹介する番組で。事前にこういうことがありましたと文字情報を送り、ディレクターが台本を作って事前に送ってくれた。ベタ読みにならないよう、項目のヘッドラインが書いてある備忘録みたいなもの。
登場するのは5分くらいで、こちらの時間ではお昼くらい。数時間前に通信状況の確認をして、リビングではがらんとしすぎていて音が反響してしまったため、布団やカーテンが音を吸収する、薄暗い寝室に行った。布団をしいてクッションにして、踏み台を机代わりに、上にPCを置いてスタンバイ。

zoomからはラジオ放送の音声が聞こえてくる。南アフリカの音楽らしい。その音に重なって、通信状況の最終確認をしてくれているアシスタントの人の声が聞こえる。楽屋で待っているかのような不思議な気分。CMが終わり、番組の音楽が終わるまでのあいだに、通信状況があまり良くないことがわかる。イヤフォンの調子も悪くなる。いやはや。ままよ、と覚悟を決めて、音楽が終わってパーソナリティの人が私のことを紹介するのを聞く。
パーソナリティの人とのおしゃべりはふつうのzoom対話のようだった。ゆっくりはっきり明確に。オンライン授業をしたり、その10日前くらいにオンラインでテレビの取材を受けたりしたときの経験が活きた。そして、パーソナリティの人はしゃべりのプロなのだなと強く思った。台本という武器を持った素人の私をなんなくいなす会話術。

さて、ラジオ番組ということで違ったのは、「自分の声が聞こえない」ということだった。もうちょっと正確に言うと、リスナーに聞こえているはずの自分の声が聞こえない、ということである。zoomの話し合いや講演などよりいっそう、その先にいるリスナーのことがわからない。通信状況が悪くてすこしタイムラグがあり、電波に乗って、たぶん音質がすこしざらざらした私の声が、まったくどこの誰かわからない人に聞かれている。そのくせ私が聞いているのは、頭蓋骨を通過したいつもの聞き慣れた自分の声である。その感覚が、なんだかとても不思議だった。