よるのおわり

日々を愛でる

2021年に読んでおもしろかった本

2021年は仕事も育児もあまりにも動きが目まぐるしく、落ち着いて本を読むような時間を作ることができなかった。それはつまり、心に余裕がなく荒廃していたということでもある。本は読みたいのだけれど、読み始められないし、読み始めても読んでいられない。やばい。やばいけれど、本は待ってくれる。また余裕が出てきたときに戻っていきたいと思う。

2021年のあいだにbooklogに登録した書籍数は11冊。その数少ない本のなかから、いくつか、おもしろかったものを挙げてみる。例年だったら書かないような本も挙がっているけれど、それはまあ仕方ない…。


エリザベス・ストラウト (小川高義 訳) オリーブ・キタリッジの生活
米国の片田舎を舞台に、元数学教師のオリーブとその家族や周囲の人びとの日々や歳月が、ゆるく連結した13の短編によってうかびあがってくる。このなかでは、まったき幸せな人生を送る登場人物は誰もいない。伴侶を失ったり、子供に裏切られたり、自他の境界で苦悩したり。それでも人生はつづいていき、そうしたままならなさを嘆いたり罵ったり転嫁したりして、弱い人間は、生き続けざるを得ない。
タイトルのオリーブ・キタリッジが主役の話や、ちょっと話題をかすめるだけの話がいろいろ入り混じっていて、その濃淡がなんだか心地よい。オリーブが40代の中年の頃から始まり、70代の老年期まで、時系列に沿ってキタリッジ家の顛末が語られる。文体がそっけなくてさりげない。だから見過ごしそうになる。でもしっかり味わうと、にじみ出てくる悲哀がとても良い。

どう反応されるか、ちゃんと予想していた。この人のことだ。やさしい断り方をしてくれるだろう。だから思いがけないことになって驚いた。やわらかな腕がハーモンを包み、その人の目が涙に濡れて、唇の重なる感触があったのだ。


ブルース・チャトウィン (芹沢真理子 訳) パタゴニア
とても不思議な南米紀行。紀行文であることは確かなのだけれど、気の赴くままに足を運び、ありとあらゆる人とおしゃべりをし、書物や伝聞で知ることとなった昔の話などもまるでその場で見てきたかのように描かれる。土地勘の良くない地域で、話が今や昔を行きつ戻りつし、果てなく続く道を延々と歩く夢を見ているかのような感覚に陥らされる。しかしそれでいて、苦労して読み終わると旅が終わったときのような感傷があり、細部をきちんと味わわなかったことが悔やまれるような気分になってくる。
船や馬が主要な交通手段であり、暴力が許され、人を人とも思わないような開拓時代の荒々しさの残り香が随所に感じられる。ちなみに、視点は征服者である欧米人のもので、先住民の視点に立った譲歩はほとんど見られない点が残念だけれど、この時代の作品で、この作者であれば仕方ないかなとも思う。

そんなわけで翌日砂漠を走るあいだ、銀色のちぎれ雲が空を回転しながら横切っていくさまを、灰緑色のイバラの藪が海のようにうねって低くなり高くなりしていくさまを、白い砂粒が塩田から流れ出しているさまを、そして地平線上で地面と空が色もなく溶け合っているさまを、私は眠い眼で見つめていた。


ウラジミール・ナボコフ (若島正 訳) ロリータ
家には訳の違う2冊があり、私とRとが1冊ずつ持っていたのが結婚して一緒になったようだった。読む前にインターネットでいろいろ調べて、若島訳を手にとった。言わずとしれた名作であり問題作。非常に理知的でユーモアのある文体で、それに引き込まれると、人間や状況の可笑しさにくすりと笑いさえしてしまうのだけれど、巨視的に全体像を眺めるとあまりにもグロテスクで偏執的で、そしてロリータの視点から物語を再構築するとどんなに醜い現実があるのだろうと思う。気持ちのとうに離れたロリータに対し、懇願し脅迫しセックスを強いるハンバートの欲の深さと惨めさ、人生の希望を破壊されてすべてを諦めたようなロリータ、そのどうしようもなさが、濃厚なクリームのような文体で飾られて提示される。

さて今から、次のような理論を紹介したい。9歳から14歳までの範囲で、その2倍も何倍も年上の魅せられた旅人に対してのみ、人間ではなくニンフの(すなわち悪魔の)本性を現すような乙女が発生する。そしてこの選ばれた生物を、「ニンフェット」と呼ぶことを私は提案したいのである。


ウンベルト・エーコ (河島英昭 訳) 薔薇の名前
生きているあいだにこれを読めてよかった、と思ったすばらしい物語。いつかは読まねばと思っていた。中世キリスト教の清貧論争を背景に、イタリア北部のとある僧院で起こった凄惨な殺人事件を描く。キリスト教の歴史や詳細、横文字の人名に馴染みがない身としては最初なかなか読むのが大変だったけど、そのあたりをきちんと把握していなくても、主要な人物さえ認識していれば、読み進められる。けれど、もちろん把握できたほうが物語の深みも理解できる。
物語のなかに出てくる例のモチーフがあまりに有名だけれど、原典がここにあるということが広く知られるほどは読まれていない本であるような気もする。あまりにもかっこいいバスカヴィルのウィリアムを探偵役とするミステリーとして読むこともできるし、中世キリスト教をとりまく黙示録として読むこともできるかもしれない (そうして読むと、異端審問のやりとりとか拷問の描写とかがとても印象に残る)。何が正統で何が異端なのか。自分たちの正しさを信じて疑わぬ人びとのなかに潜む狂気と恐怖。近代科学の萌芽に触れ、よりメタな視点をもったウィリアムが、その欺瞞を冷静に見つめている。
そしてこの書名!
とにかく、なにか具体的なことを書くとネタバレになってしまう。そしてこの本には古い思い出もあって。そういうことを書こうと思っていたけれど、そんな時間や心の余裕もなかなか得られない1年間だった…。いやはや。

この生涯において、ただ一度めぐり合った地上の恋人、その名前すら、私は知らなかったし、その後も知ることがなかった。