よるのおわり

日々を愛でる

雨の匂い

夜、ひさしぶりにでかけて、帰ってきたとき、こちらに近づくにつれて雨が降っていくのがわかった。駅を出るとけっこう本降り。スーパーをぶらぶらして、10分ほど雨宿りした後、小降りになったところを見はからって、街に足を踏みだす。あとは帰って眠るだけだからまあいいか、と思うと、雨に降られているのがちょっと楽しくなってくる。
途中までは順調だったものの、お墓の前に来たあたりでまた強く降りだしてきた。そうはいってもやっぱり濡れるのはいやなので、もうちょっと待って! と思いつつ、しばし軒下を借りて雨宿り。強い雨は数十秒で過ぎ去っていったので、またすぐに軒下から出て、家に急ぐ。
家について、シャワーを浴びて、Rとすこしやりとりをしていると、いつのまにか22時半を過ぎている。早く帰ってきたつもりだったのだけれど。なんだか気持ちが昂ぶっていたのでコーヒーを淹れて飲み、歯を磨いて、布団に潜り込んでtwitterを見ていると、「夏の終わりの涼しい日みたいな匂い」という投稿が目に入って、電気を消したまま窓を開けてみると、本当にそんな匂いがした。そのまま窓を開けて寝たいような気分だった。

翌日、例によって眠りは浅く、睡眠時間が足りないまま早朝に目が覚めてしまう。しかたないので通勤してくると、目の前を小動物が逃げていくのが見え、並走して50メートルくらい一緒に走った。タヌキだった。最後には物置みたいなところに消えていき、ふむ、あのあたりに巣があったりするのだろうか。
朝には、礼文島の朝の匂いがした。暖かい空気と冷たい空気が海の上で混ざりあった匂い。

睡眠薬

偶然にも、こちらのほうで空き時間ができてしまったので、土日はひとり家にこもってお仕事。気温がかなり低くて、じっとしていると寒い。そのかわり、リラックスしながら、ひさびさに仕事を大きく進めることができた。Rにはすこし申し訳ないような気がするけれど。

朝方、そのまま寝ているとすぐに起きてしまって睡眠時間がどんどん短くなっていくので、週末には睡眠薬を試す。寝つきのときにはあまり効果がわからないのだけれど、後ろのほうが延びるみたい、つまり、朝になってもよく眠っていられる。そのかわり、翌日の日中はすこしだけ、頭や体がぼんやりしている気がする。長い時間眠った効果なのかもしれないけれど。

3日間の夢

お皿に、中身を取り出された水色のクラゲ(の皮)が乗っていたので、膨らましてもとの形を確認しようとしていた。シャーベットの入ってるメロン型の容器をひっくり返したみたいな感じだった。

 

修学旅行?みたいなもので沖縄の中部から北部を訪れていた。途中で指から血が出て、中学の同級生(大河原くんだ)とふたりで車を降りるけれど、置き去りにされてしまい、しかし運良く別なグループに遭遇できて拾ってもらえる。しかし、自分たちのもともとのグループは今夜のご飯が高級な豚しゃぶしゃぶなのに対し、こちらは黄土色のまずいカレーで、また泊まるところも自分たちのほうは個室なのに対し、こちらは団体宿泊である。ああもとのグループに戻りたい…(でも宿泊地が遠く離れてて、バスの時間も終わっちゃったしタクシーも高いし…)と苦悩する。

 

世界にとても大きな穴(横向き)が開いており、向こうの世界に行ってしまうと、生きては帰れないとの噂である。政府は大規模な封鎖を実施し、穴に立ち入ったり出てきたりしたものには厳罰をくだすと決めた。

…気にくわない。なぜ政府が勝手に規制をするのだろう。私は半分穴に飲み込まれたところに暮らしており、そこから出ることも、さらに入りこむことも許されていない。しかし、たしかに、穴の奥からは邪悪な気配が漂ってくる。早めに逃げたほうがよさそうだ。

政府の封鎖をかいくぐり、私は穴を出る決意をする。監視の目をかいくぐり、大きな骨組みの上に出たところまでは良かったが、落ちれば命はないし、向こうに見えているネットのところまで行ければ穴の外に降りられるものの、ネットを滑り降りているあいだにみつかってしまう。いちかばちか、細い骨組みの上を走り出そうとした私の目に、抜け穴のような細いダクトが目に入る。

助かった!体を滑り込ませて、内部をひた駆ける。この穴にはいくつか、政府も把握しきれていない支流があり、これはそのひとつなのだ。白い光が差し込む狭い出口に到達し、口を押し広げて、外に体を押し出す。外には、寒々とした冬の曇り空が広がり、中央に噴水のある道路が延びていた。

寄り道

お仕事が早く終わったので、一駅分歩いた。晩秋の陽射しのなか、高級住宅街をてくてくと。公園の木には大きなカラスがとまっており、あちらのほうからはまごうことなき三線の音が聞こえる。近寄ってみると、ベンチに座ったおじさんが脚を投げ出して、気ままに爪弾いていた。途中でみつけた教会に入ってみると、お姉さんがパイプオルガンの練習をしていた。しばし聴いて、席を立つ。なんだかすこし得した気分。

 

翌日もお仕事が早く終わり、ユザワヤに寄り道してハギレを探す。すてきな模様に惹かれて大きめのを買ってしまう。黒い当て布を探していたけど、まあいいや。帰宅して、夜、布の半分を風呂敷にした。三つ巻きがあるから、風呂敷だって縫えるのだ。

 

だいぶ寄り道をしてしまった2日間である。

 

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夜の樹

寝ない児を抱っこして夜の道を歩く。明け方は真っ暗になるのだけれど、日付が変わる前の夜は、まだどことなく明るい。雲に街の灯りが反射しているのかもしれない。お墓(こちらのお墓は、私たちを威圧してくるような感じがなくて、守ってくれるような抱擁感がある)や樹々が黒いシルエットになって、闇の中に浮かびあがる。

街灯もない農道だから、何かあるように見えてもよく見えない。視界の真ん中に対象を置いて焦点をあわせても、なかなか見えなくて、意外と、視界の端っこでチラチラと見たほうが、その正体をつかみやすい。畠の向こうには白い、豚や山羊くらいの大きさのかたまりがあるように見えて、私が歩くのにあわせて動いているように見える。しばらく様子を観察して、畠の真ん中に置いてある表示板か何かに光が薄く反射して、そんなふうに見えているだけだとわかる。

体の前に抱いている人は、この世に生まれ出てからまだ2週間しか経っていない。細切れだけれど一日中よく眠るのは、胎内にいたときの大変さを回復しているのかななどと考える。まだ人間のような感じはなくて、オランウータンのアカンボウをあやしているような感覚なのだけれど、不思議なことに、この人の体温をお腹に感じているだけで、夜道もだいぶ心強い。

生後2週間といえば、江戸時代なんかでもまだだいぶ命のはかない時期だけれど、うまくいけば、この人にはこのあと何十年もの時間が残されているのだなと思い、不思議な気持ちになる。