よるのおわり

日々を愛でる

最近の夢

なにかよくない現場を目撃して,物腰の柔らかい殺し屋に口止めされる.その殺し屋と一緒に,ごはんをにこやかに食べている.

カニの甲羅をあけると,Rが悲しんで家出してしまう.カニは二度とあけないとひとり誓う.

ホテルの1階には図書室があり,3階の客室まで登るには,本棚を這い登っていかねばならない! 不安定な本棚の上をこわごわ歩いていても,しかし3階には行けそうにない.よく見たらフロアにエレベータがあるではないか.本棚を降りることにする.

猫に餌をやるのを忘れていた.見ると元気がない.これは早くなにか食べさせてあげなければ…と思いつつ水や餌をあてがってみるも,まったく口にせず,そしてどんどんしなびて小さくなっていく.とても悲しい.

数人の研究者と調査に出ており,次はロシアへの入国が必要になる.裕福な身なりをしていると危ないらしいという話があり,手持ちの服のなかでできるだけぼろぼろのものを選ぶ.さいきん穴が大きくなってきたジーンズを履く.

お掃除

街中の家から廃墟を見下ろす家に来て、(猫を撫でることの次に)最初にしたことは、掃除だった。

朝の飛行機で帰省する同居人を見送った後、よいしょと腰をあげ、ゴミを捨て、台所や洗面所の水回りを磨き、テーブルを拭いてほこりを落とした。そうして物置から掃除機を出してきて、猫を寝室に閉じ込めてベランダでフィルターを掃除したあと、部屋中を掃除機がけしてまわった。掃除機がけの最中、猫はずっとベッドの下に隠れていた。
玄関に散らばる砂を吸い終わり、もう一度フィルターを掃除して、出たゴミを猫のフンと一緒にシューターに捨てて、掃除は完了した。

石鹸で手を洗ってコーヒーを入れ、昼前にひと息ついたのだった。もう明日到着する予定のRのことを思いつつ、お客さんを我が家に呼ぶために掃除をしているような気分になった。存分に腕をふるって掃除をするのは楽しいものである。

白鳥の家

荒野の先には海があるはずなのだけれど,走っても走っても行き着かない.長い直線の道の先には曲がり角があり,そこ曲がり角の先も林や丘の向うに消えていく.けれど後ほどGoogleマップで調べてみると,あともうちょっとうねうねした道を走ると,終着点に行きつくらしい.最後のひとふんばりが足りないということなのだろうか…

でもまあ昨日は,走りに走った先の道で,ちょっと丈の高い草に隠された水路のようになっている場所を発見した.そこには白鳥が休んでいた.太陽はついさっき地平線の下に沈み,これからは暗く寒くなってくる.

この場所は,もしかしたら白鳥のすみかなのではないだろうか…そんなことを思いながら,Uターンして引き返してきた.

2017年のこと

2017年はいろいろ変化がありすぎて,2016年に自分が何を思っていたかも思い出せなかった.(こんなことを書いていたようだった)

年度末まではあっという間に過ぎ去った.北欧でのワークショップ,ムーアの先の研究所での測定,東京での缶詰生活,弾丸フィールドワーク,引っ越し,荷物をすべて送り出し,そしてカナダへ.

4月から11月までは,まったく新しい土地で,新しい生活.リモートでの仕事のコツをつかむのに結局半年以上かかってしまったし,ふたりで暮らすということに関して,たくさんの喜びを感じるのの1/3くらい,苦しみや焦りも感じた.調査や実験で,この本当にすてきな土地の本当にすてきな家で実際に暮らせたのは,この期間の半分くらいだったんじゃないかと思う.

閉塞感と忙しさに窒息しそうになって,仕事と生活の意義を見失い,毎日が苦しく,いらいらしてばかりいた時期もあった.ふたりで暮らすということの絶対的な安心感と,質の変化したさみしさというものがあることを知った.


仕事でも生活でも,2017年はひたすら種をまいて育てることに専念した.あるいは,"Think outside box".問いを立てる段階から徹底的に調べ,前提を疑い,そのための施策を実際に打った.そういうことをはじめたのは,研究に関しては,それ以前からちょっとずつ思っていたことが,2月に参加した東京での缶詰ミーティングで言語化されたため.生活に関しては,ライフステージの変化と,職探しの危機感と,人生と研究との折り合いをつけるべく奮闘する仲間たちの苦境を見て.

近所で見つけたとある教室に電話をかけて,結局2ヶ月しかできなかったけど週3でレクチャーを受けて,ある程度の見通しを立てることができた.研究以外のアウトプットや活動範囲を広げ,すてきな人たちと邂逅したり,ongoingの旧交をさらに温めたりした.10数年ぶりに車の運転を再開した (が不注意でバンパーをへこませてしまった…).来年のことも滑り込みセーフみたいな感じで決まって,また生活環境が変化することになった.


そうして,11月の後半からは,その総決算みたいな感じで,北欧のこの国に来ている.ある意味強制的に,日本で起こっているいろいろなできごとから隔離されて,研究や生活のことを,改めてゆったり見つめ直す機会にもなっている.

来年のことはなんとなく想像がつくけれど,その先はわからない.まいて育てた種を収穫できるところまでいけば良いし,そうでなくても,さらに新たな種をまいていきたいと思う.自分のなかに存在する「当たり前」を超えて,より遠くを見通していくために.

花火

荒野の先のほうで花火が上がりはじめて,それは最初3ヶ所くらいだったのだけれど,だんだん増えていって,6ヶ所,9ヶ所,と止まるところを知らない.もしかして,と思って家の反対側の窓からも外を見ると,こちらでもやはり花火があがっている.こちら側は11ヶ所…!

最初は花火があがるたびに窓に貼りついて見ていたけれど,だんだん慣れてくる.遠くから響いてくるぽんぽんという音が,妙に心地良い.真っ黒な空のしたで,遠くのほうに小さく赤や黄色に吹き出す花火は,いそぎんちゃくのように見えたのだった.