よるのおわり

日々を愛でる

雨の動物園、熱

雨の予報の土曜、ちょっとゆっくりめに家を出るとすでに雨。駅まで電車で行き、空いた車内を乗り継いで目的地まで。途中の駅がだいぶ発展していてびっくり。目的地の動物園ではやはり雨が降っており、人びとと合流してまずお昼。日本の動物園は子供向けという雰囲気があり、レストランのメニューもいかにもな感じ。それはそれで雰囲気があっていいなとは思うけど、子供から大人まで、場合によっては洗練された市民の憩いの場みたいなデンマークの動物園も、広義の博物施設としての目的によりかなっているのではないかと思ったりもする。
冷たい雨が降っていて、予想以上にお客さんはいない。人びとにLを任せて事務所に行ってすこしお話と挨拶をして、すぐに終わったのでインフォメーションセンターの図書室でお仕事。また人びとと合流し、モグラについての展示を見たあとモグラを見に行き、本当に見られて感激する。雨足が強くなってきたなかをゆっくり歩いて上のほうまで行き、もう3年ぶりくらいにオランウータンたちと再会。当時1番よく観察していた個体は、私のほうをじっと見たあと、すっと手を伸ばしてきて、ガラス越しにお互いタッチしあった。この期待を裏切らない確実さとそっけなさ、オランウータンらしいなあと思う。そして、覚えてくれていてうれしかった。
寒いし雨も降っているしで、巡回バスに乗り、裏を回って正門に到着。ギフトショップを冷かしたあと車で山の上のおうちに帰った。

その夜、Lは楽しくなったのかハッスルし、夜中布団がごわごわでよく眠れなかったこともあり、翌朝から熱が出てしまう。急いでメールを送ってその日の予定をキャンセルさせてもらい、なんと家まで送ってくれることになった。しかし近くの小児科は満員で予約も取れず、スーパーで食材を買いだめして家まで帰った。お昼を食べたあとLはこんこんと眠り、翌朝にはなんと熱が下がって元気になっていた。

 

からっぽな日々に色をつけること

先日ひさしぶりに友人に会い、自分の口から出てくる話題が過去のことや愚痴ばかりで、自分で自分が嫌になってしまった。毎日が自転車操業みたいになっていて、生き生きと語れるようなことをしていない。子育て中はこんなものかなとも思うけれど、なんとかしたいような気がする。

職場に行くとどうしてもいろいろすべきことが気になり、あっちに行ったりこっちに行ったりで執筆に集中できない。執筆も職場の整備も実験作業もすべてが自分の想定からだいぶ後方に離されており、何を優先して多少ましな状況にするか、という選択を続けていくような毎日。そのなかでも今回の執筆はもっとも優先度が高く、時間が空けばとにかくこれを進めている。あまり予定も入っておらず執筆に集中できると思っていた1月は、いざ来てみると予定がぼこぼこと入っており、目論見はみごとに外れてしまった。

そんな状況で、週に一度は遠出をしないといけないお仕事。うだうだ言っていても仕方ないので、ちょうど良い機会、とお昼はさまざまな選択の中から選んで外で食べ、仕事をこなしている。
そんなある日、たくさん下調べをして悩んで選んだお店でお昼を食べたあと(そのわりにはそこまで感動せず。おいしかったけどさ。)にすこし時間が余ったので、はじめて入る博物館へ。小さなひと部屋の展示で、あまり期待せずに入ってみると、展示されていたエッチングやスケッチの作品が好みのど真ん中にヒットしており、ひとつひとつをゆっくり見ていった。陰鬱な景色を細部まで見てしまう目で、自分自身のこともおもしろく眺めながら、世界を小さな画面に写しとっていくような。均質な線で空間を埋めて輪郭やテクスチャーを作り出していく思想みたいなものが興味深くて、もっともっと原画を観察していたかった。
会期も短くこじんまりとしたこの展示に偶然出会い、少しだけ心が軽くなったような気がした。

www.art-c.keio.ac.jp

休日の職場

結婚する前は土日も関係なく大学に行っていたりしたけれど、最近はまったくそういうことをしなくなった。けれど、Lとふたりになって仕事時間が圧倒的に足りなくなってくると、いやでもなんでも休日に行く必要が生じることがある。しかし、そのあたりは立地の悪い職場の良いところで、子連れで休日に行くのもそれはそれで楽しい。作りおきのおかずを冷蔵庫から出し、いくつかあるパン屋のどこかを選んでバゲットを買い、バスに乗って山の上へ。職場に行っても大した仕事はできないけれど、物理的にそこにいなければならないことをいくつか済ませる。Lと一緒なのでほとんど実のあることはできず、進み具合はゆっくり。とはいえまあ、平日にほとんど仕事の時間がなく、休日もストレスを溜めながら遊ぶよりはだいぶましではないかと思うのだった。

雑然とした家

日本の家は家具などを自分で揃える仕様のため、狭い家のなかは雑然としてくる。狭い家のなかでモノに囲まれていると、居心地の良さに包まれているような気持ちになるときもある。たまには、ごみごみしていて嫌になるときもある。
冬の晴れた日の日照時間の長さにはさすがだなと思わせるものがあり、東に向いた和室はぽかぽかしてくる。しかし陽が沈むとその温かさはすぐに消えていき、雑然としたモノたちが冷たさを放ってくるのだった。

冬物を買う時間

都心を抜けて日帰りの出張。なかなか難しいお願いをしに行くものの、準備時間はたっぷりあったので訪問相手の書籍を読み、おもしろい内容ばかりでファンになってしまう。
この大移動は先月同じことをしたのでだいぶ状況がわかっていて、当日も余裕の雰囲気。バスを待つあいだに駅前の建物に入り、冬物をちらちらと見る。わりと気になるものがあったけれど、ひとまずは様子見。バスに乗って訪問先を訪れ、話し合いの後に実物を見せていただく。思ったよりも容易にお願いの内容が達成できそうであり、ではやってみてくださいということになる。ありがたやありがたや。お仕事もすぐに済んでしまったけれど、その背後には常に膨大な労力と時間があることを忘れてはいけない。パズルのような標本の実物も見せていただき、百聞は一見にしかず、と感動。
予想していたより早く終わり、晴れて寒さも和らいだ道を駅まで歩く。道すがら、よさそうなベトナム料理の店を見つけて入る。現地の人がやっており、本場感が漂い、お正月の飾りや食材も売っている。食材を買いに来てひとしきりおしゃべりしている人もいたりなんかした。こうした、人びとのコミュニティになっているようなお店はいつも楽しい。予想通りおいしく、支払いをして駅まで歩く。駅では電車まで時間があり、また来られる時間もなかなかないだろうと思い、先ほどの冬物を購入してしまうことに。店員さんがわたしのことを憶えており、親切にしてくれてありがたい。駅前の地元の名産品を扱うお店ですてきな感じの和菓子を買い(後日食べたらシャリシャリのさわやかな味が柚子の風味にマッチしていてとてもおいしかった)、電車に乗ってまた長い距離を帰宅してきた。
家の近くの駅ではすこし時間に余裕があったので、ドトールに入って、論文の図の案を紙に書いて検討し、これでいこうと決まった。研究のこと(あれもこれもその一環ではあるけれど…)をきちんと考えられるのはひさびさで、やっとこの件を進める時間ができたという満足感。

この日はなんだかすてきな1日だった。以前と比べるとだいぶ余裕が出たなとは思うけれど、それより前と同じ水準に戻ることはないであろう。