よるのおわり

日々を愛でる

ロヨラアームズの昼食

あるときの心情に驚くほどマッチする本を読んでいることに気づき、ページを繰る手が止まらなくなり、最後の1文を読み切って、それまで呼吸を忘れていたかのような気分で「ほぅ……」と天井を見上げて息を吐き出すようなときがたまにある。たいていは静かで沈みがちな心が伴い、というかわたしがそういう物語を好きだからなのか、集中して読書をするのがそういうときに限られるからなのかもしれない。今でも思い出せるのは、深夜の研究室でその日借りてきた『こんな夜更にバナナかよ』を読み切ったあの苦しい頃とか、『ふがいない僕は空を見た』を朝読みはじめたら止まらなくなってしまい、そのまま大学に行かずに昼過ぎに読み終わってその日は何もする気力が湧かなくなってしまった夏の一日とか。
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三連休の真ん中にある春の土曜日の昼過ぎ、遅い適当な昼ごはんを食べながら読んでいた『僕はマゼランと旅した』のなかのひとつの物語でも、それが起こった。10代の終わりの、閉じ込められたようなやり切れなさと、すこし気取った自意識と、あまりにも圧倒的な孤独感。そう、強い毒を持った孤独は、名前のついた孤独であり、それは「ひとりではない」ということで生じるんだった。

そして、あのときほど自分が独りだと思ったときも。

本を置いて息を吐いて、そうだ、同じだと、そう思った。なんとなくどんより濁った午後に、物語の鮮烈な残り香を得た。