よるのおわり

日々を愛でる

道路1本隔てた横には冬の海が広がっており,その道路に面したホテルの裏庭には,公園が広がっていた.ホテルというよりは家という感じで,2階建てのこじんまりした,でも居心地の良いところ.

部屋の窓は公園に面していて,噴水のある大きな池を芝生が取り囲む借景となっている.うっすら雪の積もった公園はすごく寒そうだけれども,カモやカモメや名前のよくわからないトリが数百くらい,たぶん,そこに住んでいる.公園の向こうには街が広がっており,公園と街のあいだには中世の城壁がそびえている.

夜中や明け方,部屋に置いてあるロウソクにマッチで火をつけて,静かに燃える炎の向こうでときどき鳴くカモの声を聞く.

郊外

キャンパス街の外れの,ほとんど郊外と言っても良いような場所.セントラルヒーティングで暖かい建物の,最上階の部屋で食事を摂るために,地下の共同キッチンとのあいだを行き来する.エレベータなんかはもちろんなくて,ふかふかした階段を登り降りする.

そこでは,高緯度地域の冬の短い陽もことさら暗く感じられ,夜中に降る霧雨は音を立てずに,木々や石の感触でそれと知れるばかり.

2017年

おととし (2015年) はわりと苦難の年で,2014年までの成果を回収したあとには,ただ長いスランプが続いた.形に残るものを何もつくりだせず,将来のための施策の数々がばかみたいに初歩的な部分でつまづいていたことを発見し,私にとっての仕事の意義をわりと本気で思い悩んだ.

2016年はそこから体制を立て直すことに注力した (あるいは結果的にそうなった).思い悩んだ結果得られた結論はシンプルなものだったし*1,いったん「ルール」を理解してしまえば,あとはもう早いのだった*2.すでにやってしまった失敗は取り返しがつかないので,ぐちゃぐちゃ考えているのは精神に良くないだけだし,面倒で大変ではあるけど,同じことをまたイチからすれば,まあ,次は同じ失敗でつまづかないで済む.

すでにルールを理解した領域では存分に力をふるい,これから踏み入っていきたい領域については,おととしの失敗をもとに,着実に (しばしば詰めが甘かったけれど) 足場を固めていった.

今年はもしかしたら,気をつけたほうが良いかもしれない.どれだけ意識しようとしていても,常識とか「当たり前」は知らずのうちに体内に浸透してきて,かしこにこびりついていく.うまくいっているように見えるときほど危ない.
そして,私の「戦い方」についても,すこし別な角度から再検討してみたいところ.


*1 つまり,人からどう評価されようと私は私のできること「量を質に変えること」をするだけ.
*2 そして,ルールを理解したあとに手を動かす術については,博士課程のあいだに会得していた.

大晦日 その1

朝早めの時間に家を出て,東京ビッグサイトへ向かう.知人の出展のお手伝い.

しかしとにかく人,人,人!!
7時半過ぎの国際展示場駅,入場規制がなくなった後の会場,会場から駅までの道,いろんな人が,川が流れるように,あっちこっちに押し流されるように,群れとなって動いていく.お昼を食べる時間がなかったことも手伝って,人酔い状態になって頭が痛くなる.


午後からはお仕事があったので,午前中で引き上げてきて,新木場駅のホームでほっと息をつく.プラットフォームの自販機で購入したクリスタルガイザーのペットボトルがかわいい形だった.


大学で,やっと,朝作ったサンドイッチをほおばり,朝淹れてきたものの飲む暇のなかったコーヒーを味わう.実験と,測定の準備にかかる手間と時間を頭の中でシミュレートして,夜は何時に終わるだろうか.早めに出たいところ.

大晦日 その2

お仕事で遅くなって19時を過ぎた通りには、普段の5分の1くらいの人通りしかなく、急いで駅に向かう。電車を乗り継いで1時間ちょっと、海のほうの街に降り立つ。

 

駅から友人宅まで、バスは出ているみたいだけれど、せっかくなので歩いてみる。Googleマップでは30分ちょっと。あえて山を越えていく道を選んでみる。人通りはさらに少なく、ところどころで漏れるお店や人家の暖かい光が、なんだかうれしい。

風もなく比較的暖かい夜で、山の中腹には舗装された道や街灯もそろっているけれど、なんだか心細い。何度か道を間違えながら、山頂に着いて、続けて下りにさしかかる。

と、そこで雰囲気が変わる。これまでにもちょいちょいと、デザイン性のある大きな家があったものの、この区画ではすべての家が大きく、庭なんかもあり、お金と手間がかかっていることがひと目でわかる。家政婦さんが住み込んでいてもなんらおかしくないような。

延々と続く別荘のような家々を抜けて、ふたたび山を下りて、目指す建物にたどり着く。22時前。ああ…長い1日だった。

 

日本酒に、お刺身や鍋、アイスクリームなどをごちそうになり、なんとはなしに紅白を見たりおしゃべりをしたり、まったりと過ごしていたら年が明ける。翌日 (もう当日だけれど) の早い私は客間のベッドを使わせてもらい、ほかの人びとが初詣に行く準備をする音を聞きながら眠りに落ちる。

朝方、ファンタジーの世界のようにきれいな草が生えているけれど、右のほうに崖が深く落ち込むきれいな稜線を歩く夢を見る。さしかかった狭いところを、私には通れる気がしなくて、踏ん切りがつかないまま立ち止まっているところで夢の記憶は途切れる。

 

朝、ほかの人びとが寝ているなか、シャワーを借りて、ひと足先においとまする。正月らしい雅楽の音楽が山のほうから聞こえてきて、バスの時刻は合わず、また徒歩で駅を目指す。山のなかの別荘も、中腹の山道も、朝の光の下では魔法が剥がれ落ちて平凡な景色に変わる。

なぜかコンビニの軒先に売っていた、たっぷりしたミカンを買い、電車に乗る。電車のなかで朝ごはんがわりに食べると、大ぶりにもかかわらず、汁気たっぷりで味もしっかりしている (大ぶりのミカンは雑な味でおいしくないという偏見を私は持っている)。朝の空気に冷やされて、甘くて酸っぱい果汁が喉を潤した。

 

そうして、むしょうに暖かいコーヒーを飲みたくなって、大学の近くのコーヒーショップでモカを頼んだ。