よるのおわり

日々を愛でる

余白をもっと

複数の仕事の充実した時期が重なったため、すこし気持ちの調子を崩していたようだった。Lが生まれてから慢性的な仕事時間不足に陥っていて、あれもこれも理想とは程遠い進行状況で、自由にできる時間が手に入ったらすこしでも仕事を進めたく思う。そうした気持ちがあることは確かに事実なのだけれど、その熱情にまかせて生活の可処分時間をすべからく研究活動に巻き込んでいくと、知らずのうちに息がつまっていき、精神が悲鳴をあげるようになっていく。私は自分のコンディションを把握するのがあまり得意でなく、知らずのうちに無理をしていることが多いため、そうした危険もけっこう進行して養生もなかなか難しくなっているような段階で、ふと自分が溺れているのに気づくことになる。
そうならないためにも、生活には余白が必要なのだった。仕事がなかなか進まない気の抜けたスランプの時期というのは、今やっと理解したのだけれど、重要な余白の期間なのだ。そうではなくて意図的に小さな余白を作り出すこともできて、散歩に行ったり、街をぶらついて欲しかったものを探してみたり。息がつまってくると、焦りが出て、逆に自分を追い詰めるような方向でさらに息をつめるような選択をとりがちになる。そういうときにこそ意図的に余白を設けなければならない。余白を伴う何かをすることで、生活のなかに余白を引き込んでこなければならない。
余白というのは、しっかりした目的や意味を持たせずに何かをすることであるとも言える。即興的にすることも余白になり得るが、私の性格的に、その場で決めるよりは前々から計画して余白を作り出したほうがその効果は高いように思う。緊張を弱めるための余白という目的をもたせた余白は果たして余白と言えるのかとも思いつつ、ままならない自分をうまく舵取っていくために、ある程度の戦略は必要になるのだった。

ひなたのカフェ

狭い店内で回転率を重視したショッピングセンターに入っているチェーン店のカフェと違い、駅ビルに入っているチェーン店のカフェは広々としたワンフロアにゆったりと人びとが居座っている (近くの大学の学生が客の2/3以上を占めているような気がする)。駅ビルのカフェは朝早くからやっているほかに、ガラス張りの窓が全面東を向いているという大きな特徴がある。そのため、朝日が存分に差し込んで、午前中は店内がぽかぽかと暖かくなる。
ここを利用するのは休日が多いのだけれど、日曜日がそこに滞留しているような、時間が止まったような不思議な雰囲気がある。

パンのおまけ

自覚はないのになんだか非常に疲れており、気持ちが上向かない。いつもいつも本当に足りない仕事時間を歯がゆく思いながら、やろうと思っていたことが中途半端のまま職場を後にして歯医者に向かう。その途中、翌朝のぶんを買っておこうとパン屋に寄り道。硬い皮をばりばりと食べたい気分だったけれどバゲットは売り切れ。しかたがないので、そのかわりに美味しそうなチーズとケールのハードパンなどを選ぶ。
お会計をしようとショーケースから目線をあげると、カウンターの奥に直径30 cm以上ありそうな大きなパンが置いてある。半分に切ってあり、断面から推測すると皮は硬そうで、中にはなにも入っていない素朴な雰囲気。まさにこういうパンが食べたかったのだ……とびびっときて、お店の人に「あれは何でしょうか…?」と聞く。
お店の人は「試作品の橙のパンです。柑橘の皮の酵母で発酵させたのです。食べてみます?」と答えてくれる。ぜひぜひとお願いをして、8分の1くらいにされたそのパンの、もっとも皮の分量が多い端っこの部分をいただく。値段を聞くと、試作品なので結構ですとのことで、何度か押し問答した後にありがたくいただいてしまう。
「皮の硬い素朴なパンが大好きなんです」と言うと。
「うれしい、私もそうなんです。でもよく売れるのはふわふわしたパンのほうで……」とのこと。
そのときは気分がすこし上向き、どこかこそばゆいような気持ちになって、お店を後にしたのだった。

ダウナーな金曜日

月曜から金曜までLとふたりで過ごしており、しかしとても世話が楽になったと感じる。夜に長く寝てくれるようになったし、言葉が通じるようになっていて、あちらの気持ちに寄り添いながら粘り強く説得?していると、しばらくして泣き止んでくれる。夜ごはんはとにかく食べてくれるように、あと私の労力削減も兼ねて、生春巻きとトルティーヤを繰り返す。

金曜は花粉の薬がすこし変なふうに作用して、気力の出ない1日になった。自転車を回して職場に行くのがだるく、頭がぼんやりして考え仕事がまったく進まなかった。少し早めに切り上げて家に帰るとRが帰宅しており、近況報告などした。

骨折した右手が震えたあの日のこと

高3の冬の体育でソフトボールがあって、捕球のときに球が跳ねて右手親指の付け根に当たった。当たった瞬間に「これはやってしまった」という思いがあって、その場で手を挙げて授業を早退した。後からその部位が腫れ、吐き気が襲ってきたので、本当に骨折していることを直感した。
整形外科でレントゲンを撮ってもらい、親指基節骨のMP関節部の人差し指側が折れていることがわかった。その場でお医者さんが指の股に親指を置き、「痛いけど我慢してね」と言いながら破片の位置を正してくれた。(もちろんものすごく痛かった)
困ったのは、1-2ヶ月後にもう受験が控えていること。右手は利き手なので、非常に困る。ギプスで固定されてペンを握れず、メモを取ったり計算したりということができない。
そこで、受験問題を解きながら、同時に、左手で字を書く練習をした。左手にペンを握らせて、右手で導きながらなんとか紙の上に字を落としていくようなイメージ。初めは絶望的に見えたこの試みも、やってみればなんとかなるもので、数IIIの計算問題もこれで解けるようになった。(利き手が使えないと、歯磨きが意外に困り、お風呂に入れられないので右手だけ臭った)

センター試験はギプスをつけたまま迎え、マークシートであることもあってか、なかなか首尾よく終えることができた。模擬試験などを通じても過去最高の得点で、大学合格予測判定では自分でも驚くような結果が出た。(この結果で、学費免除特待生の入学枠を滑り止めの私大からもらった)

問題は第一志望の公立大の二次試験だった。ギプスはとれたもののペンを持つ手に力が入らず、ペンが指の股に当たると異様な緊張感があり、親指に少し力を入れると痛みが走る。ギプスのとれた右手で書く字は大きく汚くなり、判読はできるものの以前の文字と比べると大いに不満が残った。書く速度も決して大きくはない。
自宅から試験会場にたどりつき、苦手の英語はまあまあ、得意の生物は上出来、そして山場の数学。数学は3つの大問が出て、ひとつめは普通に解け、ふたつめは難しかったものの、高校の数学IIIcの補講でたまたま解いた問題とほとんど同じもので、やった!と思いながら回答した。みっつめの問題は何を聞いているのかすら一切わからず、ほとんど白紙で用紙を提出した。全体をざざっと見たとときから手が震えてきて、ふたつめの問題を解いている最中に震えが止まらなくなって滝のように汗をかいた。骨折後のリハビリ期間だったこともあったけれど、数学の最後は、震える右手を左手でおさえるようにして、解答用紙に文字を書きつけていた。
ちょっと暖かい日だったような気がしていて、理学部の奇妙な形の建物の裏の池の前にある半分外になっている廊下にたたずんで「終わった…」と思った。こんなに緊張したのは初めてだったし、こんなに燃え尽きたように絶望したのも初めてだったように思う。

ところが合格発表の日、父親のPCを借り、だめだろうなと思いながら大学のウェブサイトにアクセスすると、自分の受験番号が載っている。信じられなかった。なにかの間違いじゃないかと思って、電車に乗って大学に行ったけれど、掲示板にもちゃんと自分の受験番号があった。人生なんとかなるものだな、としみじみ思った。

後日談。入試の点数を公開してくれる制度があって、入学後に自分の点数と順位を確認してみた。すると、学科のなかでは1番の成績で入学していた。これも信じられなかったけれど、納得するところもあった。自己評価と実際の成果はときにだいぶ食い違うものだし、自分が納得できる努力をきちんと積み重ねていけば、結果はついてくるものだと実感できた経験だった。

このエントリに刺激されて、昔のことを思い出したので、書いてみた。
anond.hatelabo.jp