よるのおわり

日々を愛でる

骨折した右手が震えたあの日のこと

高3の冬の体育でソフトボールがあって、捕球のときに球が跳ねて右手親指の付け根に当たった。当たった瞬間に「これはやってしまった」という思いがあって、その場で手を挙げて授業を早退した。後からその部位が腫れ、吐き気が襲ってきたので、本当に骨折していることを直感した。
整形外科でレントゲンを撮ってもらい、親指基節骨のMP関節部の人差し指側が折れていることがわかった。その場でお医者さんが指の股に親指を置き、「痛いけど我慢してね」と言いながら破片の位置を正してくれた。(もちろんものすごく痛かった)
困ったのは、1-2ヶ月後にもう受験が控えていること。右手は利き手なので、非常に困る。ギプスで固定されてペンを握れず、メモを取ったり計算したりということができない。
そこで、受験問題を解きながら、同時に、左手で字を書く練習をした。左手にペンを握らせて、右手で導きながらなんとか紙の上に字を落としていくようなイメージ。初めは絶望的に見えたこの試みも、やってみればなんとかなるもので、数IIIの計算問題もこれで解けるようになった。(利き手が使えないと、歯磨きが意外に困り、お風呂に入れられないので右手だけ臭った)

センター試験はギプスをつけたまま迎え、マークシートであることもあってか、なかなか首尾よく終えることができた。模擬試験などを通じても過去最高の得点で、大学合格予測判定では自分でも驚くような結果が出た。(この結果で、学費免除特待生の入学枠を滑り止めの私大からもらった)

問題は第一志望の公立大の二次試験だった。ギプスはとれたもののペンを持つ手に力が入らず、ペンが指の股に当たると異様な緊張感があり、親指に少し力を入れると痛みが走る。ギプスのとれた右手で書く字は大きく汚くなり、判読はできるものの以前の文字と比べると大いに不満が残った。書く速度も決して大きくはない。
自宅から試験会場にたどりつき、苦手の英語はまあまあ、得意の生物は上出来、そして山場の数学。数学は3つの大問が出て、ひとつめは普通に解け、ふたつめは難しかったものの、高校の数学IIIcの補講でたまたま解いた問題とほとんど同じもので、やった!と思いながら回答した。みっつめの問題は何を聞いているのかすら一切わからず、ほとんど白紙で用紙を提出した。全体をざざっと見たとときから手が震えてきて、ふたつめの問題を解いている最中に震えが止まらなくなって滝のように汗をかいた。骨折後のリハビリ期間だったこともあったけれど、数学の最後は、震える右手を左手でおさえるようにして、解答用紙に文字を書きつけていた。
ちょっと暖かい日だったような気がしていて、理学部の奇妙な形の建物の裏の池の前にある半分外になっている廊下にたたずんで「終わった…」と思った。こんなに緊張したのは初めてだったし、こんなに燃え尽きたように絶望したのも初めてだったように思う。

ところが合格発表の日、父親のPCを借り、だめだろうなと思いながら大学のウェブサイトにアクセスすると、自分の受験番号が載っている。信じられなかった。なにかの間違いじゃないかと思って、電車に乗って大学に行ったけれど、掲示板にもちゃんと自分の受験番号があった。人生なんとかなるものだな、としみじみ思った。

後日談。入試の点数を公開してくれる制度があって、入学後に自分の点数と順位を確認してみた。すると、学科のなかでは1番の成績で入学していた。これも信じられなかったけれど、納得するところもあった。自己評価と実際の成果はときにだいぶ食い違うものだし、自分が納得できる努力をきちんと積み重ねていけば、結果はついてくるものだと実感できた経験だった。

このエントリに刺激されて、昔のことを思い出したので、書いてみた。
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