よるのおわり

日々を愛でる

夜中に台所で

3年前ここに越してきてすぐのときのことをいまだに思い出したりする。

はじめは夜のバスの情景。カナダの学会から京都を経由してこの島にやっとたどりつき、ひと足早くこちらに来ていたRの情報をもとに、駅からバスに乗って、まだ見ぬ家に向かう。当時は交通網のことが全然わかっていなくて、わざわざ遠い駅のバスセンターから長い時間かけて乗ってきた。暗くなってほとんど外も見えないけれど、お店の明かりなんかがときどき通り過ぎる窓の外を眺めながら、窓を少しだけ開けて、4月にしてはやっぱりだいぶ暖かい外の風を取り込んだりしていた。すこしの不安を含む永遠のような長い時間ののち、バスの運転手は目的のバス停の名前を口にし、私は降車ボタンを押してその停留所で降りた。今ではすっかり勝手知ったその大きな通りから、教えられた通りに脇道に入っていくとそこはもう真っ暗で、すこし行ったところで、向こうからやってくるRと出会った。

その次は、たしか翌日、町役場へいろいろな手続きをしに行くところ。まだ車もなく、Rは午前休をとって、生暖かい曇り空の下、道を歩いていた。裸になった畑には、見慣れない形の木が何本も生えていて、枝も葉もないそのたたずまいが不思議な雰囲気を漂わせていた。今のわたしは、それは枯れかけたソテツで、その畑は夏には背丈を超えるサトウキビが実るということを知っている。

そして最後は、1-2ヶ月時間が経ったあとのこと。この島にすこし前からいた知人の家族とコテージでBBQをして、そのまま宿泊した夜のこと。小さな子供がふたりいる知人の一家は二段ベッドのある1階で寝て、わたしたちはシングルベッド二台の2階を使わせてもらった。この頃は、その1年半後に自分たちにも子供ができるなんて思いもしなかったと思う。楽しいBBQがおひらきになったあと、なんだか気持ちが興奮したまま、がらんとした2階のベッドの片方にふたり横たわっていた。強い風にときおり雨が混じり、目の前の海を見下ろす崖の上に生えたタコノキの硬い葉がカタカタと鳴る。薄ぼんやりした部屋のなかで、外に吹く風のことを想った。

結婚してから、今までに感じたことのないような「孤独感」を感じることがあった。それは、この広い宇宙に、たったふたりで放り出されたような、そんな感覚。この先もいろいろなことを、ふたりでやっていかなければならないということ (もちろん「ねばならない」わけでは決してないのだけれど、なんだかそんな気持ちがするのだということ)。たとえば夜中の台所のような場所でそんなことをふと思うときがあって、しかし独身時代と違うのは、そんなようなわたしもよくわかっていない何かについて話しかけられる相手がいて、それなら、そんな孤独もあまり怖くはないと思えることなのだった。