よるのおわり

日々を愛でる

公園のバレーボール

近所に中学校と小学校があり、保育園の送り迎えの際に登下校中の小中学生とよくすれ違う。それでずっと気になっていたのが、小学校くらいまでは男女関係なく仲良く遊んでいるように見えるのに、中学生になると、女性か男性かによってグループ分かれがかっちり決まっているように見えることだった。登下校中という中途半端な状況が邪魔しているかも知れないけれど、女の子/男の子は女の子/男の子としか歩いていないし、相互のあいだでやりとりがあるようにも見えない。

自分の過去を思い出すにつけても、本当に意味のわからない周りの同調圧力によって、なんとなく男女が分かれてしまうのだなということはなんとなくわかる。でも、仲が良ければ性別関係なく対等にやりとりができれば良いのにと思うし、ジェンダーというラベルで思考や行動を縛る義務教育時代の日本のこの雰囲気は、自分が縛られる対象だった数十年前から本当に大嫌いだった。(あるいは私がそういう雰囲気を勝手に感じ取って存在すると思い込んでいただけだったのかな……?)


さてそんなところで、夕飯材料の買い物に行くと、近くの公園でバレー部らしき (うまかった) 男子中学生たちがバレーボールのラリーをして遊んでいるのが見えた。女子中学生たちも近くにいて、なんとなく参加しそうな雰囲気。買い物を終えてまた帰りに通りかかると、今度は男女みんなでひとつの輪を作ってラリーに興じていた。女子中学生たちもバレー部なのだろう (うまかった)。そこには、ボールをうまくつなぐ楽しみ (だけ、と言い切ることはもちろん部外者である私にはできないけれど) があった。

この光景を見て、ちょっとうれしくなって、なんとなくほっとしたのだった。