よるのおわり

日々を愛でる

2021年

今年はどんな年だったろうか…と考えて、あまり思い浮かばないことに驚いた。それか、今の私がそういうのも書けないような余裕のない状態にあるのか…。とはいえ、今年はいろいろなものを育てはじめていった年だったので、あまり目立った印象がまだないのかもしれなかった。

実験室を立ち上げ、学問の未来を担うもっと若い世代のことを考えはじめ、政治と科学の関係がますます悪化していく現状で自分に何ができるのかを考えていた。そして、1年越しの準備期間を経て、ついに北の国にもやってくることができた。4年前は滞在期間も短く、経験も浅く、すべてがきらきらして驚きと自分の未熟さへの悔しさに満ちていた。でも今回は、期間も立場もライフの状況もすべてが違い、来てみたら案外、どこにいても変わらない日常が淡々と流れていく感じになっている。COVID-19の影響も大きいのかもしれないけれど。そして、渡航関連の情報収集や事務処理で、大きなことから小さなことまでありとあらゆる側面にかなりの時間を費やした(現在も終わっていなくてそこそこの時間が取られている)。Rと分担していたからまだよかったものの、これをひとりでやっていたらどうなっただろうと考えるのも恐ろしい。しかし、このプロセスを通じて、時代遅れになってしまった日本の社会システムについて実感できたり、相手国の文化や慣習に対する理解も深まったりして、あながち悪いことばかりでもないなとも思う。
お仕事のほうは大きな成果をひとつ表に出せたのが良かった。ただ、予算や許可の取得がボトルネックとなって、その先に進めていないのが悔やまれる。5年前からの宿題ふたつ(宿題は本当はもっとたくさんある)のうちひとつは出版でき、もうひとつもやっと原稿にまとめて投稿できた。査読結果は先日返ってきて、しかし、うーん、これはちょっとどう評価していいのかわからない。各種レビュー、自分がメインではない共同研究、研究の相談、あいかわらずうまくいかない研究費申請など、論文執筆とは毛色の違うことにも意識的に取り組んでいった。圧倒的に余裕が足りず、緊急ではないが重要なことが積み重なっていっている。子育てが終わるまでは無理かもしれないなあ…。

生活のなかに、自我を獲得しどんどん成長していく子供がいるということで、未来への見通しをこれまで以上に立てておく必要を無意識に感じているような気がする。変わらない日常をなんとかして変えることではなく、変わらないように回していくことに目的が移るような、そんな気分。実家を離れてからは、これまでそういう生活をあまりしたことがなくて、自分自身がまだそういう暮らしに慣れていないのも感じる。
総じて、2021年には人生のステージがちょっと変化したような気がしている。そして私自身はそのことにまだ慣れていない。慣れるべきなのかもわからないけれど、穏やかな生活はもっとも大事な優先事項のひとつなので、なんとかしなければならないところはある。

そして、日本の政治や人権の状況についてはニュースを聞くたびに失望を感じ、北の国に来て日本の状況と比較して、ますます虚しくなっていった。そうそう、思い出したけれど、オリンピックのせいでずっと気が晴れなかった。少しずつ改善が見られていくのよりも早く、ひとつの国が刹那的に搾取され凋落させられていく過程。そして、実際のところ、それを見ていることしかできない無力感。それでも私にできることはなんだろう…。