よるのおわり

日々を愛でる

2020年

今年は上下の振れ幅が激しい1年間だった。

なによりも良かったのは、次の職が決まったこと、それもかなり理想的な形態で。どちらにしてもまた次を探さねばならないけれど、しばらくは家族そろって暮らし、腰をおちつけて研究に取り組める。「就活」で落ちつづけていると精神が病んできて、昨年終わり頃から今年の初めにかけてはかなり大変だった。有限な精神力や時間を動員して応募書類を作り、まったく手応えのない虚空に向けてそれを撃ち込んでいくような苦しみを、この先数年間はひとまず味わわなくても良いのだということだけで、もう、心の底からうれしい。
運命のいたずらから、遠くに行く機会は選ぶことができなかったものの、少なくとも短期的にはそれより良いかたちで (研究の面でも家族の面でも)、かつて訪れたところへ長く留まれることが決まった。これに関しては上司や同僚の理解や尽力に感謝してもしつくせない。あとは、状況が今より悪くならず、無事に移動ができることを願うばかり。
仕事面では、長年の宿題をひとつ片付けた以外、目立った成果は出ていないけれど、次につながる重要な布石を打っている (と思っている)。この先の2-3年間で、どのくらい質の高い種をまき、どのくらい多くを刈り取れるか、それが勝負の分かれ目になってくるのかなと思う。
ただ、無事に職が決まったこともあって、プランBはまったく進められていないのが悲しいところ。

社会的には、今年をCOVID-19抜きに語ることはできないだろうな。昨年末に奄美大島、年明けにベトナム、復帰してからはマレーシアにペルーと世界を駆け巡ったのが3月まで。4月には非常事態宣言が出されて在宅勤務になり、5月には不気味なほど静まりかえった南の島から引っ越しを完了させた。在宅や出勤制限のなかでふわふわと職場が変わり、以前の職場の人へは大きなお別れもしていないし、新しい職場の人の大部分へは直接あいさつもしていないしで、いろいろなものが実感なく身の回りを動いていくよう。出張やフィールドワークがほとんどできず、育休がまだ続いているかのような錯覚もある。とはいえ、保育園がしっかり子供を預かってくれるのがこれほどありがたいことなのかといまさらながらに実感している。
春頃にはラジオのニュースがほとんどCOVID-19のことに占められているのを聞いて、世の中ではCOVID-19以外のことも変わらず起こっているだろうに、そうしたことについてのニュースがCOVID-19以降ですっかり耳目にさらされなくなったということについて、静かな恐怖のような気持ちを抱いた。状況は年末になってもそこまで変化がなく、むしろ今はCOVID-19のことがニュースで取り上げられないと、大丈夫かな、と思ったりさえする。同じく春頃には「記号としてのマスク」みたいなものをフフンと斜に眺めていたけれど、状況はあっというまに変化して、マスクの着用は医学的なエビデンスの後ろ盾を得て、もはや社会規範のようになっている。最近には、COVID-19以前に撮られた人びとの無マスクの集合写真やインタビュー写真を見て、「マスクをしていないけど大丈夫かな」などと思うようにさえなっている。慣れというのは恐ろしいものだ……。以前は空港などで (日本以外の) アジア系の若いお姉さんお兄さんがしているのしか見なかったポリウレタンの色付きマスクも、この1年間であっというまに日本国内に広まった。医学的な効果は薄いようだけれど、つけ心地や見た目の良さから、私も手放せなくなっている。また、まだ道理のわからない小さなLが、両親以外の、子供より大きい人間の顔のほとんどを、マスクをつけたものとして認識していることは、認知の発達に将来どのような影響を及ぼすのだろうか。(だからマスク反対とか言っているわけではなくて、単純に興味がある)
すっかり市民権を得た「コロナ禍」という言葉はいまだに好きになれないし、「疫病退散」とか「コロナに負けるな」とか、それ系のいろいろな言葉も自分では決して使いたくない。物事の感じとり方や、物事に対する態度を、語感と意味を通して他者におしつけてくるような厚かましさがある、と思う。アマビエ自体はかわいいけれど、同様の理由から、それを象徴にまつりあげる行為からは距離をとりたい。

科学と政治の関係にはほとほと嫌気が差し、この国を支配する政治家たちの強欲と無能にこれほど憤りを感じた1年はなかった。(ということは本当は書きたくないのだけれど、書かざるを得ないほど不快だった)。フィールドワーク先でCOVID-19が広がっている様子も心配だし、2021年に本当に外に出られるのかもわからず、自分の国の心配ばかりしてもいられない。
もともとが孤独を好み、あまり外に刺激を求めず、人とべったりな関係を避ける性質なので、こういう暮らし方は別に苦痛ではない。飲食や旅行や、そのほかの業界が本当に大変であることは知識としてわかっているけれど、私とは異なる生活様式を持ったたくさんの人たちが途方もない時間やお金を投下してそうした産業を支えていたのだなと思うと、なんだかめまいがしてくるよう。なににしても、社会的に弱い立場の人たちが切り捨てられることのないように、分断がこれ以上進行しないようにと、そうしたことを願う。

この世界の現実を正確に認識し、他者の痛みを理解できるようになるにはどうすればよいのだろう、という話をRとよくした。