よるのおわり

日々を愛でる

銃撃事件とその後

チェコで国際学会に出ていた際、デンマークでの銃撃事件のニュースを見た。宿に帰ってTVをつけると見慣れた近所が映っていて、有名人のコンサートでもあったのかな、などと思いながらネットニュースを調べると、shootingという文字が目に飛び込んできて度肝を抜かれた。3人の方が亡くなり、平和なデンマーク社会にとってこのような事件はショッキングであろうと想像した。それと同時に、もし国際学会に出ていなければ自分たちがその現場に居合わせた可能性だって十分あり得たわけで、運命を思う不気味な気持ちと少しの不安があった。

しかし、在デンマーク日本大使館からはこまめなメール速報が届き、メディアは不要な憶測を呼ばぬよう加害者の詳細については警察から正式な情報があるまで公表を伏せ、被害者の様子をSNSに投稿したり放映したりすることは人権侵害になり罰せられる恐れがあるのでやめるようにと政府が明確にメッセージを出し、子供の通う保育園からは子供の精神的なケアのための具体的なアドバイスが配信された。こうしたアフターフォローの適切さはさすがデンマークだなと思う。

 

そのようなざわざわした気持ちで過ごしていた学会中の数日後、朝起きてTwitterを見ると、今度は「安倍」「銃撃」という文字が目に飛び込んできた。ニュースを見て心臓がどきどきし始め、起きてきたRに伝え、その後しばらくして死亡が確認されたというニュースが流れてきた。
彼が、というか彼に象徴される思想や体制が、この数十年間日本で取り返しのつかないほど棄損し続けてきたさまざまなもの (人権、公正さ、データの正しさ、信頼、福祉、などなど) のことを思うと、彼の死を悼む気持ちには到底なれなかったし、今でもなれない。もちろん理性的には、暴力によって何かにかたをつけることは悪いことだと思っているし、こうしたことが肯定されるべきではないということはわかっている。けれど、感情は必ずしも同じ方向には向いておらず、権力という暴力によって司法の裁きを不当に逃れ続けてきた人がテロリズムという別な暴力によって社会的にではなく物理的に追放されたのかということも思ったし、自らが押し進めてきた人権を侵害し弱者を搾取する政策によって虐げた無数の人びとのうちのひとりから代わりに命を取られたのかということも思った。


その後に表舞台に押し出されたカルト宗教のことと、それらが日本の政治や経済に深く食い込んでいたことを今さらながらに見聞きし、かの党がなぜこんなに頑なにバックラッシュな姿勢を崩さないのかがすこし理解できてしまったようにも思う。もちろんカルトだけがかの党を支配している言説ではないのだろうけれど、その姿勢は教義であり、理屈や論理が通じるものではなかったのかもしれない。
その後、SNSに現れた本当にさまざまな言説を見て、つくづくこの国が嫌になってしまった。右も左もその内部も、おしなべてもう本当に分断している、ということをかつてないほど強く感じる。そしてこの分断こそが、かの政治家たちが利用しさらに助長してきたものではなかったか。すこし前にサンデルの『実力も運のうち』を興味深く読んでいたけれど、本当にまったく同じことが日本でも起こっていたのだということに気づいて愕然としてしまう。

 

そんなことの先をRと布団に入って話していたら、思いのほか議論はよく続き、いつのまにかLは寝てしまい、結局1-2時間経っていた。普段は私のほうがラディカルな考え方をするのだけれど、このときのRの考えは私が思ってもみなかったもので、自分のなかにあった当たり前を見直すきっかけになった。どこで生きることになろうと、なによりもRと一緒に生きることができて良かったということを思う。