よるのおわり

日々を愛でる

靴下を買うような時間

都心を抜けて関東の端から端へ。そもそも起点が遠いのでピークは自然と避けられたものの、それでも人はたくさんおり、電車を降りようとすると今まで私が座っていた席に私を押しのけて座ろうとする人に押されたりして、ああ東京は怖いところだ…などと思う。移動時間が大切な仕事時間になっているけれど、こうした時間でしているのは溜まっていく業務を掃き出していくような仕事であって、その大部分は創造的なものではない。

対面で会うのはだいぶ久しぶりのみなさまと仕事をして、いろいろ配慮していただき、やや早めに終わる。ありがたしありがたし。R以外の人と日本語で研究の話をするのもだいぶ久しぶりな気がしたけれど、手を動かすにつれて言葉はだんだんと出てくるようになった。自己の存在を主張することが相対的により大切とみなされる海外で2年間を過ごし、以前の私は寡黙すぎたのではないかと思うようになったものの、その気持ちと実際とのギャップが自分を落ち着かない気持ちにさせている。そして、そのアンビバレントな状況がどこに着地するかをなにやら楽しく鑑賞している自分も存在する。

ここ数ヶ月以来、驚くほど自分のための時間は足りておらず、日本の冬の湿った寒さのなかで履く靴下すら探しに行くことができなかった(いちど通販を試みたけれど、予想外に夏用の靴下が届いて、もう諦めた)。浮いた30分くらいの時間で、駅ビルに入るアウトドアショップに行ってめぼしい靴下をふたつほど試しに購入し、Lが好きそうなお土産(ぬれせん。私は嫌いだけれど…)を購入し、タンブラーにコーヒーを詰めてもらい、食べ逃したお昼のサンドイッチをホームでぱくつき、電車に乗り込んだ。都心を通過して関東の別な端に着き、すっかり暗くなったなかを歩いて帰ってお迎えに行った。

帰ってきてLのおしゃべりを聞いていると、ときに繰り広げられる奇天烈な論理展開や推理ゲームのような会話に思わず心のなかで笑ってしまい、靴下を買うような時間の不足も別に惜しくはないかなと思うようになるのだった。