よるのおわり

日々を愛でる

さよなら南の島

仕事のため、以前暮らしていた南の島へ。
こんなご時世ではあるけれど、どうしてもその場で顔をつきあわせて資料を確かめなければ解決できない問題というものもあって。Rも別件でやはりその場に行かなければならない用事があり、Lも含めみんなで行った。

空港に降り立って、一年中いつでも湿っぽい空気をかぐと、「ああ帰ってきた」と思ったものだった。今の家の近くの空港に降り立つときにはそんなこと一切思わないのに、このときも、自分が帰ってきたかのように少し錯覚した。しかし、マスクをした鼻には空気の匂いも感じられることはなく、帰るべき家ももはやここにはないのだった。住んでいた頃にはあまり行くことのなかったモノレール沿いの都心でホテルに泊まった。

仕事は以前暮らしていた場所のとても近くでしていた。終わった後などに、住んでいた頃によく行った市場やスーパーで、食材を買ったりなどした。家の前を車で通り過ぎたりもした。よく見知った土地ではあるけれど、もうここに暮らしているわけではないのだという特に味のしない思いが残った。すこしの懐かしさとともに。

小さな路地裏や公園を歩くと、わたしはこの場所が本当に好きなのだという思いを強くした。本土に比べて圧倒的に自然の力が強く、物事に温かみが満ちている。最後の晩には、昨年の引っ越しのときに泊まったのと同じ宿に泊まった。Lが眠らず、それでは夜の散歩をしようかということになった。近くの公園に行くと、猫がおり、大きなガジュマルの木にはオオコウモリがたくさんとまって、実を盛んに食べていた。一本の木にこんなにたくさんのオオコウモリがとまっているのを見たのは初めてだし、喧嘩したり、逆さになっておしっこをしたりする様子を見たのも初めてだった。まだまだ新しい発見があるのだな、ということを思った。

昨年5月には、島全体がお葬式のようにひっそりとしていたのが、今年はどことなく人の息吹が戻っていたように思う。このことを喜んで良いのかどうかはよくわからないのだけれど、南の島の印象が、昨年5月のぎすぎすした真っ暗なもので終わらずに済んだことは、すこしうれしく思った。

大好きな場所だけれど、もはやここはわたしの帰る場所ではないし、この状況ではそうおいそれと簡単に訪れることもできないだろう。だいたい、もはや旅行者では満足できないほど、この島のことはわたしの精神世界に強く根を張っている。だから、さよなら。いつかまた住めることがあればうれしいな。
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