よるのおわり

日々を愛でる

捻挫

雨の日に大学に泊まって夜間に実験をしたりする。マスクをしていると気づかないのだけれど、特に雨が降っていると、ここは森の匂いがする。夕方になると小ぶりになってきて、濃紺の霞んだ空気を通して、遠くのほうに街の灯がぼわぼわとオレンジに光っているのが美しく見える。
夜間は、実験のほかにも、ふだんあまりできない仕事などができて有意義な時間が過ごせる。研究や教育と直接結びつかないデザインなんかは、大好きなのだけれど、納得いく仕事をしようとすると時間がかかるのでどうしても後回しになってしまって、こういう余白のような時間がないとなかなか手がつけられない。
わざと明かりを控えめにした部屋で、パリッとした寝にくいシーツとか、コンビニで買ってきたふだんは食べないようなジャンクフードとか、家にはないテレビをザッピングしてみたりする時間とか、そういうのも楽しい。前からちょっと見てみたかったソーイングビーをやっていたりして、しばらく見入ってしまった。洋裁ももっと本腰を入れてする時間がほしいような気もする。

翌日は早朝からお仕事ができる。Lが生まれてからは夜と朝の仕事時間がまるきり消えてしまって、こういうふうに、存在する時間をまるまる仕事に使えるのは素敵なことだなと思う。それでもいろいろがすべて終わるわけもなく、バスの時間に合わせていろいろやりかけの仕事を放り出して飛び出してくる。

そうして夕方、山を降りるバスに乗り、電車に乗る駅の目の前でバスをおりようとしたときに悲劇がおこる。「ありがとうございますー」と言いながらバスのステップをとんとんとおりると、なにか違和感があり、気づいたらぐらりと転んでいた。右足首を内側に捻ってしまったのだということが身体に記録された記憶かなにかのようにフラッシュバックして、痛みと、これはやってしまった…という認識がやってきた。
バスの運転手さんが「大丈夫ですか!?」と言ってくれているのに対し、声が出ないので身振りでお気遣いなくと示し、車道から離れてお店の軒先に座り込む。右足首は動くけれども、すぐになんともなくなるちょっとしたアクシデントというのには程遠く、本当にこれはやってしまったという思いが強くなってとても悔しくなる。このあとLを病院に連れて行く予定だったし、土日に大学でしなければならない急ぎの仕事もこれでできなくなった。来週は出先で重要な手続きをしなければならない。もうちょっと注意していれば…という後悔が襲う。捻挫なんて十何年ぶりだろう…

Rに電話をするも混乱しており、正しい判断ができない。ああする、こうする、と何度か変更して、最寄りの駅まで行って整形外科を受診するという適切な判断に行き着く。右足を引きずりながら歩き、歩みは通常の1/3程度の速度になり、路行く人がたまに不憫そうな顔でこちらを見る。マスクをしていると、こういうときあまり顔を見られない感じがして良い。
ひいひいしながら整形外科にたどりつくとだいぶ並んでいる。ちょうどよい仕事時間になると思い、PCを広げてしばしお仕事。

1時間ほど待ったあとで診察室に呼ばれ、レントゲンを取る。丈夫な骨で骨折などはないとのことでひと安心。靭帯をちょっと痛めたくらいだからすぐ治ります、と言われて病院をあとにする。ちょっと痛めたくらいにしてはだいぶ痛く、じりじりすり足をするような感じで帰宅。

家では、いつもきりきり動いて家事をしていたのだなということを再確認する。かわりにRがいろいろやってくれる。その後の土日は家から出ず、安静に過ごす。翌週は痛い部分がふくらはぎのほうに移っており、また、これでは予定をいろいろ組み直さざるを得なくなるような感じになってくる。いつ治るだろうか…